加藤周一『読書術』岩波書店、1993.2.5第1刷、1994.10.5第8刷より。
この本では読書について、古典を味わう「精読術」、新刊を数でこなす「速読術」、本を読まない「読書術」、外国語の本を読む「解読術」、新聞・雑誌を読む「看破術」、むずかしい本を読む「読破術」に分けて書かれています。
たくさんの本を読み、知識を広げたり、深めたりしたいと思っても、読む速度が遅いうえに、読んだことが身についていないと思い、この本を手に取りました。
この『読書術』を読んで、一括りに「読書」といっても、緩急をつけて読むべきだと分かりました。
この本のなかに、「自分を発見するために古典を読む」という項があり、学生の頃に教材として触れた古典の重要性を今になって分かったと感じました。
古典について、加藤氏は、具体的に『論語』、『仏教の経典』、『古事記』『万葉集』『源氏物語』のような文学書、『聖書』、プラトン(ギリシャ思想)をあげています。
そして、次のように古典を読む意味を述べています。
「生きていく中で、考え悩む問題があった時に、これらの本(古典)はその答えを与えてくれるかもしれませんし、与えてくれないかもしれません。
しかし、これらのなかの特別な一つが他のものよりも、おそらく、その問題を考えるうえには役立つだろうと感じられる場合が少なくないでしょう。
したがって、それを読む自分の体験と照らしあわせながら、ゆっくり、たぶん繰り返して読む、という古典の読み方もあるはずです。
たとえば、愛する者を失った悲しみとか、人生今後の方針について大きな岐路に立って、迷っているとか、あるいは生きていることが無意味に見えてはりあいを感じれれなくなったとか、それぞれの場合に応じて古典を読めば、それが道をひらくきっかけになるかもしれません。
そうゆう期待をもって本を読む、これが古典の読み方のほうとうの筋かもしれません。
なぜなら、およそ本を読むときには、だれでもその本の中に自分を読むものだからです。」
カウンセラーの勉強を始めてから、古典について興味が出て来たのは、自分の体験と照らし合わせて読むことで、人生を考えることができるからなのか、と気づきました。
学生の時に教材として読んだ古典。その時はよく意味が分からず、嫌いな教科という認識でした。
人生の岐路に立った時こそ読むべきものだったことが、今になって分かりました。